妄想考古学 子飼商店街の謎に迫る!
妄想考古学とは?
拙者ことしうしうが自慢の妄想と最先端の確かな情報ネットを駆使して時には現地で調査して熊本の古代遺跡などの謎に挑む学問です。追放された父者の無念、拙者がはらす!
注意:個人の妄想と夢に基づくもので真実ではありませんのでご注意ください。
真実っぽくても妄想!真実は自分で見つけてください。
拙者の住処の近所にある子飼商店街、拙者とのつながりは結構深いのです。
祖母の家があったために幼少期の週末はほぼ子飼商店街で遊び、祖母の集めてくれた恵比寿さんのスタンプシールを貼って駄菓子屋さんで買い物。お正月は獅子舞が家に来てたので頭をかぶりとやられて号泣したり、母者が思春期を過ごしたり、父者が藤崎宮交差点の横断歩道を渡る母者に一目ぼれしたりと昭和なエピソード多数。(昭和だからね!)
熊本市内のほぼ中心部にある子飼商店街の歴史は想像よりも長いようです。ネットやいろいろな情報を見ると子飼商店街の付近が律令時代より大宰府と南部九州を結ぶ街道が整備され役人や連絡のための馬などの駅や役所といったものが整備されていたようです。
そこで今回は諸説色々ある子飼商店街の子飼の名前の由来に妄想を駆使して迫ります。子飼…昔は子供を飼う?人買い?っと思っていたらそんな説も…そのために子飼の近くにある黒髪の由来というベクトルを変えることになった?
蚕養(コガイ・コカイ)説
養蚕長者が住んでいた?
蚕養から子飼になった?
奈良・平安時代に蚕を飼っていた長者が住んでいたから等々がネットのブログ等で見つけることできました。
長者伝説は日本各地にあるものの子飼付近にその手の話や史跡名所は皆無だったりする。養蚕=絹=高価=金持ち=長者からの子飼付近に長者が住んでいたという図式が組みあがったものと推測される。
まちなっせ! 養蚕で長者になるっと? 拙者をはじめ、日本の絹は品質が良くて諸外国で大人気!重要な輸出品とかならったような…しかし、それは室町時代ちょっと前で品質として安定したのは江戸時代からなので凄く怪しい。長者になれたか怪しい。
っというかその時代だと長者というより庄屋さんが有力?
生糸としての輸出はあった! やっぱり長者さんが住んでいた? そもそも長者ってなに? 資産持ちの金持ちさんの前にその辺に住む氏の長で氏長者が一般的っぽい。
氏長者ならば結びつくのは付近お神社や氏神さん等々なので蚕の長者なら蚕に因んだ神社があるかもと検索!
蚕神社が植木と鹿央にあった。子飼から遠すぎ(苦笑
鹿央の蚕神社はお蚕さまと呼ばれていかに地域との結びつきが長く強かったがうかがえます。
熊本でも養蚕が盛んだったのは昭和初期!そうここまでくればお分かりでしょう。
蚕養長者説は…ないっぽい。
面白い事に養蚕が盛んだった県北をみると…やっぱりあった子養って昔の地名
『子養郷』養蚕から来たもので、それこそ奈良・平安時代から養蚕が行われていただろうと簡単に想像ができる!
拙者が可愛い小学生の頃には菊池川流域に蚕小屋がいくつもあったのを覚えてます。
子飼の由来はどこから? 続く!!